ブログ&インタビュー欄「日中友好の津梁に」

津梁(しんりょう)は、川の渡し、橋を指します。そこから「物事の橋渡しとなるもの、手立て」の意味も。青少年交流を友好の津梁に、の願いをブログタイトルに込めました。事務局から各方面の方に執筆を依頼していきます。

 

友好津梁

谷口泰三・一般社団法人日本書字文化協会専務理事

「私の中にあなたが、あなたの中に私がある」―異文化交流の極致

 東京でこの2019年夏「第1回日中韓書教育交流展―教育・研究・文化」が開かれました。各国の書教育をリードする東京学芸大学(書道研究会)、北京師範大学(啓功書院)、ソウル教育大学(瑞硯会)が「東アジア書教育コンソーシアム(協同体)を結成し、一体となって開いたものです。

 

会場には同大学関係者らが書いた作品が飾られ、筆会(席書の会)も開かれました。後日、掲載作品約140点を収録した図録をいただいたのですが、その冒頭に掲載されている各国代表者のあいさつ文を読んで、表題の一文に目を奪われました。

 

北京師範大学の鄧宝剣教授はこう述べます。

「われわれの風格には様々な差異が存在しますが、すべて同じ一脈のはるか昔の伝統からくるものであります」。中国で生まれた文字の長い歴史を踏まえての言葉であることは分かります。彼はさらにこう続けました。「中韓日3国の書法は、これら芸術の伝統を分有し、あなたのなかに私があり、私の中にあなたがある状況にあるといえます」。これを読んで「異文化を互いに理解しよう」と月並みな表現しか書けない私は、ウーンとうなりました。

 

鄧教授は分有の例として、現代中国で尊敬されている書家、啓功先生の言葉を紹介します。啓功先生は、日本の能筆の僧、空海らを例に次のように述べました。「みな真行の規範として、中国の中唐以来、名家に影響を与えており、故に兄弟というべきものである」と。

 

日本側を代表する長野秀章・東京学芸大名誉教授(日本書道連盟理事、書文協中央審査委員)は、巻頭あいさつで「東京オリンピック・パラリンピックがある2020年は、日本で新しい書教育の実践がスタートする年でもある」とし「このイベントが東アジアの書文化に大きなインパクトとなる」ことに期待を示しました。

2020年から始まる書教育の新しい実践とは、授業のモデルを示す国の小・中・高校学習指導要領改訂を指しています。新学習指導要領は文化としての書写書道教育を強く打ち出していますが、その実践は、教育・研究にとどまらず漢字文化圏の文化交流を深めるきっかけになるものです。

「私の中にあなたがある。・・・」。この言葉は、文化交流の太い柱となるでしょう。

(第二編、令和元年11月25日更新)

 

 

「孤城」の思い出

谷口泰三・一般社団法人日本書字文化協会専務理事

「先生の雅号は、どんな意味なのですか?」「祭姪文稿(さいてつぶんこう)から取ったんだよ」「?」「顔真卿という唐時代の書家が、戦死した甥っ子を偲んで書いた弔文の原稿なんだ。台湾の故宮博物院にある」。井上孤城(輝夫)先生は3年前に亡くなるまで、書や漢籍に疎い私にいつも親切でした。

祭姪文稿は顔真卿が758年に書いたとされ、塗りつぶされた34文字を含め259文字。確かにありました。「賊臣救わず、孤城囲み逼(せま)る。」。その孤城に込めた井上先生の深い想いを、先生の戦後自分史から知りました。

 

茨城県霞ヶ浦の予科練に入隊する直前に終戦。悩んだ末に井上少年が選んだ道は教職でした。新しい時代を若者と生きよう・・・。師範学校を経て、創立されたばかりの東京学芸大学に1949 年に入学しました。

当時、書道教育は「軍国主義の温床」と言われ、肩身の狭い状態でした。1951年まで、小学校教育から書道は外されていたほどです。井上青年は、先行きが暗いこの書道をあえて専攻に選びました。「我、孤城に籠っても闘わん」。手がしびれて動かなくなるまで毎日、筆を持ち続けたと言います。

中学校に奉職してからは、体育専科で務め、都教委指導主事や全日本中学校長会会長、日本中学校体育連盟会長など要職を歴任。一方で、書道個展を定期的に開いたほか、2010年、日本書字文化協会が東京・中野に開設されると、書道教育の権威者らを審査委員に糾合するなど強力なバックアップをしていただきました。

「書道は極めて精神性の高い活動だが、軍国主義の温床だったと言うのは間違いである」「同じ漢字文化圏の隣国として日本と中国は相互理解が必要だ」。井上先生の教えです。

 

この新春「顔真卿 王羲之を超えた名筆」特別展が東京国立博物館で開かれ、私も見に行きました。目玉は「祭姪文稿」。押すな押すなの人込みに流され、飾られた文面から「孤城」の文字を見つけることはできませんでした。一緒に行った大平恵理(書文協会長)と渡邉啓子(同副会長)はちゃんと目視したのに。書面を読む習練が足りない残念な思い出に“読む臨書”の努力をしています。

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